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Purpose:講義の目的

 日本は、「後進国」から 「先進国の中の優等生」にまで、 どのような軌跡を描いて経済発展を遂げてきたのか。 そして、これから先、日本はどういった進路を取るべきなのか。

歴史に学び、歴史の理解をもって未来を解く鍵にする

ことによって、 日本経済の過去と現在と未来を考えていこうというのが、 本講義のテーマである。
本講義では、江戸時代における日本経済の動向から バブル経済崩壊までの約400年間における日本経済の発展過程を、 最新の学会の成果をふんだんに取り入れつつ講義する。





Method:講義の進め方

 明治期には東アジアの一後発国であった日本は、 現在、世界屈指の経済大国に成長した。

日本はどのような軌跡を描いて経済発展を遂げてきたのか。

この問題に関して、最新の学会の成果に基づき、 江戸幕府開幕からバブル経済の崩壊平成不況までの、 約>400年間の日本の経済発展を通観する。

 受講者には、経済成長によって、何が達成され、 そして何が取り残されたのかについて幅広い知識を持ってもらいたいと考えている。 これからの日本経済の進む道と君達が生きて行く時代は、 この「>取り残されたもの」を補いながら進んで行かなかればならないからである。






Contents:講義の具体的内容

*INDEX

1.江戸期の日本経済
2.明治維新(近代経済成長の条件整備)
3.産業化
4.両大戦間期の日本経済
5.戦時統制期
6.戦後復興期
7.高度経済成長



1.江戸期の日本経済

江戸時代、実は、農民は貧しくなかった?

私たちは小学生の頃「歴史」を勉強していた頃から、
「江戸時代の農民は、貧しい生活を送っていた」と教えられてきた。
しかし、実際のところは違っていたという説が、今は有力である。
なぜそう言えるのか。
まず、明治政府が、「農民は苦しんでいた」という認識を、
倒幕の正当化の材料として作り上げたという点が挙げられる。
「農民が苦しんでいたから、助けてやった」と言いたかったのだ。
また、マルクス資本主義において、資本と労働者・農民は対立しているべきであり、
そのためには、「農民は貧しい」方が、都合がよかったのである。



2.明治維新(近代経済成長の条件整備)

近代経済成長とは?

@人口及び1人当たりGNPが急成長すること。
A産業構造の高度化、及び都市への人口集中が起こること。
B以上の2つが長期的に維持できること。

この3つがそろって初めて成立する。
ちなみに、日本の近代経済成長が始まったのは1886(明治19)年。




3.産業化

在来産業の重要な「機能」

在来産業のウェイトは、
生産額、有業人口で見ると第1次世界大戦までは極めて大きく、
第2次世界大戦まででも30%はあった。
これらの産業は、第1次世界大戦まで国内生産物の大部分を生産していただけではない。
不況時に、近代産業や農業に就職できない労働者を吸収し、
好況時には、労働者を必要としている産業へ放出するという、
ショックアブゾーバー(Shock Absorber)としての機能を担っていた。
このおかげで、当時の日本は全員雇用を達成していたのである。



なぜ日本は植民地化されず、工業化に成功したのか?

江戸時代、日本はそれまで国内になかった綿(短繊維−太糸−厚地)などを
鎖国(海禁政策)下で国産化した。
またその頃、イギリスを初めとする西欧諸国は、
自国に合った綿(長繊維−細糸−薄地)の輸入代替に成功していた。
開港後、それまでアジアに対抗する形で進められてきた日本の産業は、
西洋の先進国の産業(=製品)とは競合せず、
したがって、西洋からのインパクトは小さかったのである。




4.両大戦間期の日本経済

とても不安定な時代だった。

第1次世界大戦が始まるまでは、何をとっても不安定な時代だった。
日清・日露戦後経営が不安定で、国際収支は赤字に。
政治的には、世に言う「桂園体制」で、
政権が代わる度に外交・金融政策が変わってしまう。
また、憲政会と政友会の間で経済政策も一貫しない。
これらが、第1次世界大戦の大好況により、一時的に解消されるのである。

第一次世界大戦による国内経済への影響

今までヨーロッパ諸国が輸出していた物資が、戦争のためにストップし、
その市場に日本が参入したため、戦中時のみ、日本は輸出超過になった。
しかし、インフレに賃金の上昇が追いつかず、
そのせいで米騒動(1917年) が発生したりもした。
ちなみに、「成金」というものが生まれたのはこの頃である。
二重構造の形成

戦後、低米価政策と植民地米の大量移入などにより、農業所得が大幅に減少した。
そのため、農業人口の都市への流出が起こり、労働者は第二次産業へ。
経営者は、やがて熟練した労働者をこの工場に引き止めるために、
年功賃金制で長期雇用と言う制度を取った。
ここで、今で言う日本的経営の原型が成立したのである。
また、第二次産業で吸収しきれない労働者は、第三次産業へと流れ
(これがショックアブゾーバー機能!)、
第三次産業の拡大にもつながった。



5.戦時統制期

この頃の日本経済

両大戦間期からの流れで、日本的経営の原型が確立する。
また、自由主義経済から、規制の多い経済へ。
これが戦後も続いたため、つい最近まで銀行の倒産がほとんど無かったのである。
この1940年体制ではいけないと言うことで、現在、規制緩和が叫ばれているのだ。




6.戦後復興期

経済民主化

・・・と言われて、三つの政策、思い浮かびますか?
そう、財閥解体、農地改革、労働民主化、ですね。
詳しくは省きますが、これらの政策によって、
日本で、所得分配が平等になったのです。




7.高度経済成長

高度成長が達成され得た条件

たとえば・・・、

・戦後の公職追放により、若い経営者が生まれ、
 また、戦時中の風習であった所得と経営の分離により、専門経営者が登場した。
・戦時中の技術蓄積と、1950年代の外国技術の導入により産業技術が進歩。
・国民の所得が平等になったことで巨大な需要層が生まれ、 大衆消費社会が形成。
・国全体としての方向性を示し、国民と企業の共通認識(コンセンサス)を作り出した。

この他、たくさんの条件が重なって、日本の高度成長は達成されたのである。


Writing by niz